仕事で泊まり込む僕は、はたして人生を無駄にしているのか

週末に泊まり込みで納品物をまとめていて思うこと

締切が近い。やることは山ほど残っている。そんななか週末、家にいたところで気持ちが悶々とするばかりで休息の足しにもならない。そういう訳で仕事場に行った。結果的に泊まり込んで納品物をまとめあげることになり、図らずも人生について考え込んでしまった。

僕は何をしているんだろう、という塩梅だ。街ではチャラチャラした男女が仮装して酔っぱらっているのかしら。そんな世俗的な事も考えてしまう。

 

仕事は嫌いではないし、人間世界への参加感もある

仕事は確かにツラい事が多いが、どうしてか嫌いではない。それなりに難しい仕事で、月並みだが世の中の役に立っているという実感もある。人間の世界で、自分の役割分担がきちんとあるという感覚は、本能的に脳が喜ぶ。

仕事が面倒だ嫌だとこぼしながら、その実、仕事の存在が僕の心を強くしているのを確かに感じる。何者でもなかった頃より、少しは胸を張って生きる事が出来るようになった。これは仕事のおかげ以外にない。

 

にもかかわらず、なんとも言えない寂寥感があるのは何故か

何故だか仕事ばかりしていることへの、罪悪感とも、空しさともつかない気持ちがあるのは間違いない。これから目をそらしてはいけない。テンションでごまかしてはいけない。

孤独は結構好きなはずなのに、こういう時の孤独感はあまり心地よくない。自分でそう感じでいるのだから間違いない。

 

では何をしていたら、より充実していると言えるのか

散歩か、マラソンか。バーベキューか。美術館巡りか観劇か。日向ぼっこをしながらお昼寝がいいのか。つまり僕は替わりに何がほしいのか。

思えば色々なものは手に入れてきたはずだ。美味しいものも食べた。美術も音楽も堪能してきた。愛すべき人に囲まれたりもしている。何が足りないというのか?

そうなのだ。何かが足りないとか、これでプラスマイナスとか、そういうふうに考えると僕の根性が、きっと良くない。

 

自分の人生を採点しようとする姿勢自体がよろしくないのだろう

これをやったらプラス何点、今日これが出来なかったからマイナス何点。旧友のあいつは集計何点だから、僕より一寸リード。でも日本全体で見たら、真ん中よりは前方にいるかしら。

そういう勘定根性が僕の中にある。「人と比べないのが人生の秘訣」だなんて言われても、それが出来りゃ苦労はないよと。でもそこに、僕の内的世界の撹乱者がいるのは事実。少しずつでも飼い慣らすタクティクスを身に付けるようにしよう。

では、また。